分岐点。
- Hirona
- 2019年11月7日
- 読了時間: 4分
こんばんは!
自己紹介パートこれで最後になります。
私は昔からファッションが大好きでした。
今でも好きで10年以上着用しているのが当たり前。
特に大好きだったのがVivienneWestwoodです。
デザイナーであるヴィヴィアンイザベルスウェアさんは
小学生だった私の人生を変えました。
そして彼女の育った街が見たい。
それが夢の一つになりました。
その一心で高校卒業後は進学せず
高校三年間で貯めたバイト代をはたいて
19歳の時ロンドンへ一人でぽーんっと
行ってきました。
英語も話せなければお金もない。
ホストファミリーともコミュニケーションはうまく取れないけど
ご飯を毎日お代わりしてたら喜んでくれるのが嬉しくて
なんとなく、心の疎通はできてた気がします。
ファッションは昔から奇抜だったので
語学学校のクラスメイトもたくさん話しかけてくれました。
日本では浮いてた赤い髪もキャッツアイも
ミニスカも破れたTシャツも網タイツもガーターベルトも
全部褒められる対象でした。
鼻歌歌おうが授業サボろうがご飯を食べ始めようが
お互いがお互いを気にしたりすることなく
やりたいことをやりたい時に
やれる場所でした。
まさに私がしたかった生き方でした。
この時から、これまでにまして
自由人になっていきました。
ヴィヴィアンの一号店にも行きました。
ロイヤルバレエも見られた。
ドン・キホーテのキトリがとっても美しかった。
念願全て叶いました。
日帰りでフランスにも行きました。
入国審査手こずったけど周りの人が助けてくれました。
何も喋れなくても何もできないと思ってても
それは勘違いで
喋れなくても笑顔がある涙がある、表情で伝えることができる。
何もできない、のは自分がそう思ってるだけ。
生きてるでしょ。生きる、って行為自体すごいこと。
生きてる限りなんでもできるよって
思った1ヶ月間でした。
それから少しして
やり残したこと。
音楽への未練。
このブログはきっと
見てる人少ないから
カミングアウトしますが
じつは耳にも難病を持っていて
一度は音楽を諦めたんです。
いつかこの部分は消すかも知れません。
病名は伏せますが
私の両耳は常に耳を塞がれた状態で
水底の中にいる状態で
山の山頂にあるような状態で
とても、歌える耳じゃないから諦めなさいと
言われました。
治療法はありません。
自分が話す声も歌う声も
どんなものなのかわかりません。
音程も取れなければ普通に話すこともできなくて
だけど
諦めることが苦手な私は
今もお世話になってる
恩師に出会い
何年かかけてやっと
歌えるようになりました。
失ったことがあるからこそ
もう2度と手離したくない
そしてこの経験は
何かを理由にやりたいことがあるのに
諦めようとしてる人へ
伝えていきたいです。
ファッションも音楽も生き方も全部
私は私だけのもの。
私の全てを表現して
生きた証を残したい。
それができるまでは
死ねません。
生きるよ。
生きようよ。
死にたいと思ってる人がいたとして
死ぬなとは言わないよ。
だけど
生きたくても生きられない人がいるのに、
なんて責めたりしない
人の悩みはそれぞれで
人の悲しみもそれぞれで
それは比べるものではないと思ってて
恵まれない国の子供の話とか
大っ嫌いだった
恵まれてないなんて決めつける
人と比べては水が飲める私たちは
恵まれてると決めつける
いじめられて傷ついても
親から捨てられても
日本にいたら恵まれてるとか
死にたいといえば怒られる
それぞれが法律の範囲内で
自分らしく生きられたらいいと思うよ
死にたいと思ったとして死んだとして
そのあとのことはわからないけど
あなたに生きてて欲しい人はいるよ
それだけは伝えたいし
歌にも込めてる魂でもあります。
私が歌う理由は
聴いてくれた人のことを
全肯定すること。
あなたがあなたでいてくれて
ありがとうと
出会ってくれてありがとうと
そんな気持ちで歌ってます。
悩んでる人引きこもってる人傷ついてる人
救えるなんて思ってないけど
たまたま見た路上ライブが、YouTubeが今日も生きててよかったなと
思ってもらえる理由になれば
嬉しいなと今は思ってて。
語ればきりがないけれど。
赤裸々に語ってみました。
そんな私はもうすぐで
「Hirona」は1周年です。
12/7はSSWとしての私の誕生日。
これからもずっと
歌い続けます
聴いてくれる人が最後の1人になるまでずっと。

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